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​筑波海軍航空隊跡 

​筑波海軍航空隊は、昭和9年(1934年)に、戦闘機などの操縦訓練を行う海軍の練習航空隊として開隊され、撃墜王坂井三郎氏等の著名なパイロットを輩出しましたが、戦局が悪化した太平洋戦争末期には、特別攻撃隊も編成され、「特攻」の訓練も行われました。敷地内の司令部庁舎は現存し、映画「永遠のゼロ」等多くのロケにも利用されています。

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​当時の司令部跡、現在も変わらぬ姿を残して

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​正面からは入れません。

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​一部補修はしてあるものの当時の姿を鮮明に残しています。

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【かえり雲】

​筑波海軍航空隊の元隊員の彫刻家古瀬貴季氏による作品です。

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​前の写真のかえり雲の説明板です。

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司令部庁舎前に設置されている号令台

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​同左

​この台の前に多くの訓練兵が集まって訓示を聞いたりしていたのでしょう。

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​同左

​このグランドの横には兵舎があったようです。

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供養塔へ行く途中の元病院の通路です。 New

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​亡くなった元隊員達の供養のために、当時の司令官古瀬貴李氏によって建立されました。New

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供養塔のすぐ前にある水素瓦斯格納庫跡で、基礎部分のみが残っています。New

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​跡地内には、このようなのぼりが所々にあります。New

茨城見聞録から New

茨城見聞録から New

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