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戦没者慰霊碑(みたま)

​ペリリュー島中心地から南下した左側(山側)には中川大佐初め日本兵、日本軍関係者、邦人住民、現地島民などのお墓・慰霊碑が建てられています。

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​司令官中川大佐の慰霊碑

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中川大佐のお墓、何故か上半分が欠落している。なお、中川大佐の遺骨は一度は米軍により発見されましたが、遺族に返還しようとしましたが、まだ大勢の部下の遺骨が見つかっていない時に中川だけ日本に帰る訳にはいきませんということで、申し出を辞退した後、遺骨の行方は不明だそうです。

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日本政府による慰霊碑

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戦車隊の慰霊碑

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​ペリリュー島には沖縄からの入植者も多く、特に泳ぎに長けた糸満出身の兵士も多くいて、機雷の設置等、水中攻撃などにも活躍しました。

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慰霊碑の数々、左から日本政府、中央がみたま会、右が渋谷の大盛堂書店の創業者でアンガウルでも戦った船坂弘氏が建てた慰霊碑です。

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ペリリュー島陥落後も洞窟生活で2年半生き延び投稿した34名の戦友会三十四会による慰霊碑です。

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現地島民戦没者等の慰霊墓地です。

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