top of page

シュガーローフ

ユイレールのおもろまち駅付近、今は新都心と呼ばれ、県立博物館・美術館、大型スーパー、ホテル、高級マンション等が並び発展著しい街並みです。しかしこの周辺は沖縄戦の激戦地で、高さ20m程度の小高い丘の上には給水塔が建てられている場所こそ、当時はシュガーローフ(安里52高地)と呼ばれ、7日間で日米5000人が戦死し攻守が11回も入れ替わった戦いでした。ここが沖縄で稀に見る激戦地だったことは、この付近を歩いている人はほとんど知らないようです。

20180926DSC_6159_01.jpg

丘の上の展望台から那覇市内方向の眺めです。

20180926DSC_6155_01.jpg

​展望台の横には解説掲示がされていますが、掲載されている写真はシュガーローフのものではありません。

20180926DSC_6160_01.jpg

丘の上の展望台から首里方面の眺めです。

93-14-1[1].jpg

全景、戦車はM4シャーマン
沖縄県公文書館所蔵

20180926DSC_6162_01.jpg

丘の頂上には給水塔を一周できる小道があります。

91-10-2[1].jpg

​アメリカ軍LVT脇からのシュガーローフの要旨 沖縄公文書館所蔵

20180926DSC_6170_01.jpg

​丘の上には展望台が設置されています。

91-20-3[1].jpg

南側から見たシュガーローフ
沖縄県公文書館所蔵

91-13-4[1].jpg

シュガーローフ・ヒルの頂上より東に首里の丘陵地帯を望む。この丘陵地帯は、那覇-首里-与那原ラインと呼ばれる日本軍の防衛システムの中核であった。日本軍は首里の丘陵地からシュガーローフ・ヒルを直下に見渡すことができ、非常に効果的に砲撃することができた。 沖縄県公文書館所蔵

93-14-1[1].jpg

全景、戦車はM4シャーマン
沖縄県公文書館所蔵

92-13-2[1].jpg

“シュガーローフ・ヒル”の頂上から東側を望む。地平線上中央より右が首里の丘陵地帯と思われる。
沖縄県公文書館所蔵  New

ハーフムーン

​ハーフムーン(大道森)は、シュガーローフからユイレールを挟んだ反対側にあった激戦地です。首里への道路整備や区画整備事業で整地され今ではその面影はありませんが、真嘉比南公園内に記念碑があり、有志による遺骨収集時に見つかった遺品が展示されています。

​残念なことにこのハーフムーンに関する資料は残っていません。

20180926DSC_6186_01.jpg

​真嘉比南公園は小さな公園で、階段を登ります。

20180926DSC_6185_01.jpg

​階段を登りきり頂上につきます。

20180926DSC_6184_01.jpg

実際にはもっと高い丘だったと思います。

20180926DSC_6183_01.jpg

頂上には記念碑があります。

20180926DSC_6182_01.jpg

​多くの兵士や住民が戦死した場所にしてはなんとも寂しく簡単過ぎる記念碑に感じました。

DSCN2453_01.jpg

​上部に垂直になっている部分は、発掘された戦時中の塀で弾痕が残っています。

20180926DSC_6181_01.jpg

ハーフムーンの戦い解説

20180926DSC_6180_01.jpg

小銃の弾丸、水筒、銃剣、アメリカ兵の遺品などが展示されています。

80-23-1[1].jpg

防衛前線—第6海兵師団の守備地域。南方向に日本軍の前哨地点馬蹄ヶ丘、(半月形の)クレセント(大道森)、シュガー・ローフ高地、(日本軍の)要塞・首里城と57高地を望む。

沖縄県公文書館所蔵 New

bottom of page