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飛行場及びその周辺

ペリリュー飛行場は日本海軍が建築し、太平洋戦争当時は西カロリン航空隊の管轄下にあり、零戦・彗星等相当数の軍用機が配備されていました。飛行場西側には既にご紹介している海軍司令部が置かれていました。実際には昭和19年3月のパラオ大空襲によって大打撃を受け僅かな飛行機だけどなり、アメリカ軍占領後はF4Uコルセア、P-38ライトニングなどが常駐しました。

広島・長崎に投下された原爆をテニアン島まで運んだアメリカ軍の重巡洋艦インディアナポリスがその後フィリピン海で日本の潜水艦伊-58の魚雷攻撃で沈没し、海に投げ出された兵士を救助したPBYカタリナ飛行艇は、このペリリュー飛行場から飛び立ちました。このことは、ニコラス・ケイジ主演のアメリカ映画パシフィック・ウォーで、僅かなカットですが通信シーンで確認できます。

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ペリリュー飛行場には2本の滑走路がありました。この滑走路に西側には海軍司令部がありました。2013/1/6 New

 

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この滑走路の南端のジャンブルの中には朽ち果てた零戦の一部が今でも残っています。2013/1/6 New

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