top of page

旧帝国海軍艦隊司令部地下壕(横浜市日吉)

東急東横線日吉駅前、綱島街道を渡るとイチョウ並木に続いて慶応義塾日吉キャンパスがあります。1944年3月になると旧日本海軍の司令部の一部がこの日吉の慶應義塾の校舎等移動し始めました。同年7月にサイパン島が陥落すると同島から発信するアメリカ陸軍戦略爆撃機B-29の日本本土を爆撃を避けるためにキャンパス内に旧日本海軍は地下壕司令部を建設しました。

また、この付近の日吉・綱島付近は激しい空襲を受けており、その空襲から逃れた当時からの樹木痕が残っています。

この地域には、下記の組織がありましたが、現在見学可能な施設は(1)Aのみで、日吉台地下壕保存の会が慶應義塾の許可を受けて例見学会をおこなっています

(1)A 連合艦隊司令部(海軍総隊司令部)地下壕

          B 軍令部第三部(情報部)・東京通信隊・航空本部地下壕

(2)軍令部第三部(情報部退避壕)

(3)人事局地下壕

(4)海軍省艦政本部地下壕

​連合艦隊司令部地下壕

20140125DSC_4619_01.jpg

​地下壕の入り口、普段は施錠されており、原則保存会の見学時のみ使用されている。

20140125DSC_4568_01.jpg

​壕の中は普段は真っ暗ですが、見学会の時は所々に照明があったりもします。

20140125DSC_4576_01.jpg

​突き当りが竪穴口に空気通じる扉、非常時の脱出口としての機能も有している。

20140125DSC_4627_01.jpg

地上部の竪穴式通気口で、耐弾構造となっている。

20140125DSC_4623_01.jpg

​竪穴式通気口のそばには、弥生式竪穴住居址があります。

20140125DSC_4584_01.jpg

​機械室跡

20140125DSC_4601_01.jpg

壕内は、至る所で分岐し迷路化されている。

20140125DSC_4595_01.jpg

​ここには、地上の作戦室に通じる階段がありました。

20140125DSC_4614_01.jpg

短波受信機を設置した通信室

20140125DSC_4592_01.jpg

壕の天井の所々には照明が設置されていたと思われる痕跡

連合艦隊司令部地下壕の見学等の詳細は下記のリンクから

​海軍省艦政本部地下壕があった現在地の様子

DSCN2862_01.jpg

​天台宗のお寺大聖院の中庭には、川崎大空襲時の戦火から逃れた樹木が今でもしっかりと地に根付いています。また、このお寺の裏手に広がる現在の「日吉の丘公園」一帯が海軍省艦政本部地下壕でした。

DSCN2837_01.jpg

川崎大空襲の戦火を免れたイチョウの古木

DSCN2845_01.jpg

川崎大空襲の戦火を免れたクスの古木

DSCN2849_01.jpg

川崎大空襲の戦火を免れたヒバの古木

公開されている艦隊司令本部地下壕とは東横線挟んで反対側には、かつての海軍省艦政本部地下壕がありましたが、今は個人所有地となっており、さらに危険なため横浜市によって埋められてしまっているので実際に入ることはできませんので、現在の様子をご覧ください。さらに、古墳もあり考古学上でも大事な場所です。

DSCN2861_01.jpg

大聖院の裏手に広がる「日吉の丘公園」の丘陵地帯の中に、旧海軍省艦政本部地下壕がありました。

DSCN2860_01.jpg

​同左

DSCN2859_01.jpg

​同左

DSCN2804_01.jpg

​続き

DSCN2796_01.jpg

​日吉の丘公園の南端は箕輪洞谷横穴墓群があります。

DSCN2822_01.jpg

​箕輪洞谷横穴墓群発掘当時の様子

DSCN2831_01.jpg

​現在の様子

bottom of page