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嘉数高地

​宜野湾市にある高台、現在は嘉数台公園として市民の憩いの場所になっている公園ですが、ここhじゃアメリカ軍が上陸後、南下するアメリカ軍と本格的な戦いとなった所です。自然の高台に頑強な陣地が構築され、16日間に亘って民間人も巻き込んだ沖縄戦最大級の戦いになりました。頂上には展望台になっており、展望台の北側は普天間基地、南側には次の激戦地の前田高地が望めます。

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台地頂上へ登る階段の横には、弾痕が残る嘉数地区の民家の壁が移設展示されています。

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​同左  左のオレンジ色の屋根の建物は現在の読谷村役場です。

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同左 左2枚の場所から後ろを見た所で、この先も飛行場でした。

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壕の中を覗いてみました。このような陣地壕が複数ありますが、見ることができるのはここ1ヶ所だけです。

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頂上には展望台が建てられています。

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​北側にはアメリカ海兵隊の普天間基地が広り、V-22オスプレイがいます。

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中腹には日本軍が構築した陣地壕の出入り口が残されています。

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更に、北方面にはアメリカ軍上陸地の読谷村方面が望めます。

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振り返って南側を見ると、次の激戦地前田高地が見えます。

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日本軍のトーチカ跡です。頑強なコンクリートの塊です。

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​犠牲となった出身県の兵士の慰霊塔が複数あります

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出入口が見えています。

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出身者が多かった京都出身者の慰霊碑です。

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出入口から中を覗いてみました。

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二つの銃眼が作られています。

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​正面から見たトーチカ

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嘉数の塔は犠牲となった嘉数住民慰霊の塔です。

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二つある銃眼のひとつです。

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