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読谷村北飛行場

読谷村の中心部を貫く1本の直線道路が南北に真っすぐに伸びています。戦時中の昭和18年、旧日本軍が建造した沖縄北飛行場の滑走路の跡です。当時、県内で最大の飛行場で、2000メートル級の滑走路を2本備えていました。

この道路の横には、現在の読谷村役場、野球場、陸上競技場等が建っています。

また、一角には当時の建設された掩体壕がいまでもあり、その側には義烈空挺隊の慰霊碑も建てられています。

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日本軍北飛行場滑走路跡、アメリカ占領後はアメリカ陸軍の飛行場となりました。

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​同左  左のオレンジ色の屋根の建物は現在の読谷村役場です。

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同左 左2枚の場所から後ろを見た所で、この先も飛行場でした。

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北飛行場空撮、アメリカ軍の資料では慶良間列島となっているが間違いと考えられる。沖縄県公文書館所蔵

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​アメリカ軍が占領後、昭和20年5月24日、義烈空挺隊の九七重爆撃機が強行着陸し破壊活動をしました。

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義烈空挺隊の特攻により破壊されたアメリカ軍機

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滑走路跡から西に100mほど行ったところには不戦宣言の碑広場などがあります。

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​読谷村飛行場の比較空撮写真も置かれています。

 

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飛行場の一角、陸上競技場の裏手には

掩体壕があります。

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​老朽化のため壕内は鉄柱等による補強工事が行われています。

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同左

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​義烈空挺隊玉砕慰霊碑

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​掩体壕等の説明

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読谷村での戦闘の様子

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掩体壕の脇には義烈空挺隊の慰霊碑が建っています。

 

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説明看板

 

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