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​​沖縄本島

​昭和20年4月1日の午前5時半、読谷村を中心にアメリカ軍の艦船から一斉に艦砲射撃が始まりました。

その数は20分間に大砲、ロケット弾、迫撃砲合わせて100,000発以上でした。そして、午前8時30分読谷村の渡具知付近から北谷の海岸にかけて上陸しました。
下の地図はアメリカ軍の上陸地点とビーチ名、赤枠が読谷村の画像データ、青枠が北谷画像データ撮影地です。

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読谷村渡具知海岸

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昭和20年4月1日 ここからアメリカ軍第一海兵師団が上陸した。

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​同左 アメリカ軍名称イエロービチー2

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同左

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左の写真の場所を海岸の上部から見た当時の写真、サンゴ隆起岩が左の現在の写真にも残っています。

※沖縄県公文書館所蔵

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比謝川河口、ここに上陸支援艦船が集結し、支援物質を陸揚げした。

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​同左 

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小高い丘にある米軍上陸の地碑

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同左

 

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上陸の様子を表した地図

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この丘から上段左2枚を撮影し、前3前の地碑が現在は設置されています。自然壕と待避壕が見えています。以降の画像は、沖縄県公文書館所蔵

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比謝川河口、イエロービーチ3”で積荷を降ろす艦船

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揚陸艇と車両兵員上陸用舟艇が補給物資を岸に運ぶとただちにトラックに積み込まれる。左側に日本軍のガソリンドラム缶が見える。“イエロービーチ3”にて

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沖縄上陸作戦 戦車揚陸艦(LST)もしくは中型揚陸艦(LSM)

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イエロービーチ3の比謝川河口で積荷を降ろす艦船

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比謝川河口での揚陸中のアメリカ軍

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昭和20年4月1日、アメリカ海軍の戦艦が海岸の日本軍施設めがけて集中砲火を浴びせる中、海岸に押し寄せる水陸両用車両。この衝撃的な写真は揚陸艦から撮影されたもので、砲撃による閃光や上陸用舟艇の白い航跡が水面や鉛色の空と鮮明なコントラストを見せている。

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海兵隊の先陣が北側の海岸を攻撃してから2時間後、イエロービーチ2で波を立てて進む戦車用艀。中戦車を運搬している。

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浜辺に停止する第1海兵師団第5連隊の水陸両用トラック、上陸開始時刻から43分後、イエロービーチ3にて

北谷 砂辺馬場

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​上陸地点のホワイトビーチ付近

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同左

 

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同左

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​上陸地点は現在砂辺馬場公園となっており、モニュメントがひっそりと設置されています。

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同左

 

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同左

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