top of page

千人洞窟

ノースドックから数100m南下した水戸山の斜面にあります。ペリリューの戦い当初は防空壕として使用されていましたが、その後は主要な陣地として使われ、野戦病院としても利用されていたようです。存在は知っていたのですが、2019年1月にペリリュー島3度目で初めて中に壕内に入ることができました。

20190108DSC_5664_01.jpg

壕の入り口で、ここだけが見学可能な入口のようです。

20190108DSC_5665_01.jpg

​壕の入り口にはこのような案内看板が立てられています。

20190108DSC_5667_01.jpg

壕の中に入るとすぐに千羽鶴が目をひきました。壕内入り口近くでもあり、火炎放射器によって黒い焦げ跡が今も生々しく残っています。

20190108DSC_5669_01.jpg

​別の壕の入り口も見えます。

20190108DSC_5673_01.jpg

​ビール瓶が残されていました。側面の一番下には、右から左にキリンビールと刻印されていました。

20190108DSC_5676_01.jpg

水色の丸いものは焼けただれた洗面器のようなものです。

20190108DSC_5681_01.jpg

​再び別の壕の入り口が見えています。私が入った入口より南側のものと思われます。

20190108DSC_5683_01.jpg

何か長い棒状の物に留められた表示板でしょうか…ここにも水色の洗面器がありました。

20190108DSC_5689_01.jpg

​遺留品の数々、真ん中は焼け焦げた酸素ボンベのようです。

20190108DSC_5690_01.jpg

ご遺族の方が手向けたのでしょうか…塔婆とお花がありました。

20190108DSC_5693_01.jpg

​火炎放射器で焼けただれた迫撃砲の

弾丸立て

20190108DSC_5702_01.jpg

​豪から出て、壕内から見えた南側の別の入り口です。火炎放射器で焼かれら痕跡がはっきりと分かります。

20190108DSC_5699_01.jpg

壕の入り口に残る火炎放射器の跡を

アップで撮りました。

20190108DSC_5700_01.jpg

​同左

bottom of page