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ペリリュー島

ペリリュー島は、パラオコロール島から南西へ約40Km、スピードボートで約1時間にある面積約13㎢、島民約400人の小さな島です。

第一次世界大戦後パリ講和会議により、コロール島・ペリリュー島等パラオの島々は日本の委任統治領になりました。

太平洋戦争が勃発し、1944年9月15日アメリカ軍が上陸し85日にわたり激戦が続き同年11月24日司令官の中川大佐・村井少将が自決し、日本軍の組織的戦闘が集結しましたが、日米共に甚大な死傷者を出した悲劇の島です。しかし、生き残った日本兵34名はその後も徹底抗戦を合言葉にゲリラ戦展開し、アメリカ軍に帰順したのは終戦1年8ヵ月後の4月22日でした。その生き残った兵士で作られたのが三十四会という戦友会です。

戦後70年の2015年4月8日現在の上皇ご夫妻が、天皇陛下・皇后陛下時代にパラオ共和国に戦没者慰霊のため行幸啓された際に、ペリリュー島の「西太平洋戦没者の碑」に日本から持参した白菊の花を献花し深々と頭を下げられ、その後海を隔てたアンガウル島にも拝礼されました。

★ペリリュー島の戦跡記録は未完成の状況で順次更新いたします。

ペリリュー島の地図

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